鳥取市: 用瀬番所

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概要・歴史・観光・見所
用瀬番所(鳥取市)概要: 案内板によると「 藩の領域を守るために用瀬番所用瀬に番所が置かれたのは、慶応元年(1865)であった。御藩士6人、下番4人が配置され山○村及び綱尾村木戸締を兼務した。この番所のそばに大きな一本松があった。番所松と呼ばれていたが、大正8年(1919)鳥取軽便鉄道が用瀬まで開通する時切られた。この番所は、明治4年(1871)11月7日まで置かれ、通行人や荷物の検査が厳重に行われたものである。」とあります。現在は番所の遺構はなく、寛政9年(1797)一本松の下に建立された芭蕉塚( 夏来ても 多ヾ一つ葉乃 一津可南 )だけが残されています。用瀬は天正8年(1580)に羽柴秀吉の因幡侵攻に尽力した磯部豊直が景石城の城主となり、その城下町として整備されたのが都市としての起源で元和元年(1615)に発令された一国一城令により廃城になりましたが、その後は因幡街道(智頭街道)の宿場町として重要視されました。宿場内には鳥取藩主が参勤交代で休息所として利用した御茶屋(茶屋本陣)や、奉行所、番所、制札場、牢屋なども設けられました。

用瀬番所:写真

用瀬番所
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