鳥取市: 景福寺

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概要・歴史・観光・見所
景福寺(鳥取市)概要: 瑞松山景福寺は鳥取県鳥取市新品治町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。景福寺の創建は南北朝時代、通幻寂霊禅師が開山したのが始まりと伝えられています。当初は現在の兵庫県川辺郡猪名川町にありましたが慶長年間(1596〜1615)荒尾隆重(当時の姫路城の城主池田輝政の家老)が景福寺11世大桂宗奕禅師に深く帰依し姫路城下(兵庫県姫路市)に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺としました。

その後、輝政を継いだ池田忠雄が元和2年(1616)に岡山藩(岡山県岡山市)に移封、さらに、忠雄の跡を継いだ光仲が寛永10年(1633)に鳥取藩(鳥取県鳥取市)と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っています。その為、景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の4箇所に存在し曹洞宗四景福寺と呼ばれています。

又、景福寺の境内には歴代荒尾家の墓碑の他、大坂の陣で豊臣方の有力武将として戦った後藤又兵衛(黒田如水の旧家臣、黒田家家臣時代は「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられ、大坂の陣では真田信繁(幸村)、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、明石全登と共に「大坂城五人衆」と呼ばれました。)の墓があります(後藤又兵衛の妻は池田家家臣三浦家の出身だった為、又兵衛の戦死後は実家に随行し鳥取に移りました。境内には又兵衛「西照院夏安道蓮禅定門」と夫人「仙洞院保年寿延大姉」、為勝「桂雲善香居士」の3基の墓碑が並んで建立されています)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦三尊。

景福寺:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(後藤又兵衛基次と妻子の墓)-瑞松山景福寺
・ 現地案内板(由緒)-瑞松山景福寺


景福寺:ストリートビュー

景福寺:写真

景福寺境内正面に設けられた山門を撮影した画像
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景福寺 景福寺 景福寺 景福寺


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