鳥取市: 宇倍神社

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概要・歴史・観光・見所
宇倍神社(鳥取市)概要: 宇倍神社は鳥取県鳥取市国府町宮下字一宮に鎮座している神社です。宇倍神社の創建は大化4年(648)、古代からの神官である伊福部氏の祖神(武牟口命)を勧請されたのが始まりと伝えられています。又、勧請した神は武内宿禰命や因幡国造の祖先、彦多都彦命の説もあり、因幡国風土記逸文によると境内にあるが亀金が武内宿禰命の終焉の地とされ、武内宿禰命が双履が脱いだと伝わる双履石の下からは多くの副葬品が発見されており、古代の円墳跡だと推定されています。宇倍神社の神官家である伊福部氏は当地方を治めた古代豪族の後裔とされ、境内背後の宇倍山(現在の稲葉山)からは和銅3年(710)に制作され、一族と思われる徳足比売の銅鋳製、被蓋式の骨壺が発見されています。骨壺には徳足比売が慶雲4年(707)に従七位下を授けられ、和銅元年(708)に藤原京で病没、和銅3年(710)に火葬され宇倍山に葬られた事が銘文によって明らかで、大変貴重な事から墓跡は国指定史跡、骨壺は国指定重要文化財に指定されています。

宇倍神社は古くから格式が高く、続日本後紀によると嘉祥元年(848)に従五位下、日本三代実録によると貞観4年(862)に正五位上、貞観10年(868)に従四位上、貞観13年(871)に正四位下、貞観15年(873)に正四位上、貞観16年(874)に従三位、元慶2年(878)に正三位に列しました。又、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では因幡国唯一の名神大社に列し、承徳3年(1099)には平時範が国守に就任した翌日に参拝するなど因幡国一宮として広く崇敬され因幡国の司祭を行っていました。

中世に入り朝廷の権力が失われると急速に衰退し、天正9年(1581)の羽柴秀吉の因幡侵攻の兵火により多くの社殿、社宝が焼失しています。江戸時代に入ると歴代鳥取藩主から崇敬庇護され、寛永10年(1633)には当時の藩主池田光仲が社領25石の寄進と社殿の造営が行われています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治4年(1871)には国幣中社に列しています。

特殊神事である宇倍神社獅子舞は古式を伝える神事として貴重な事から昭和34年(1959)に鳥取県指定無形民俗文化財に宇倍神社御幸祭祭具も同様に貴重な事から昭和39年(1964)に鳥取県指定有形民俗文化財にそれぞれ指定されています。社殿が度々紙幣の図案になった事から金運、財宝に御利益があるとして参拝に訪れる人も多いとされます。現在の宇倍神社本殿は明治31年(1898)に造営されたもので、三間社流造、檜皮葺、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。拝殿も本殿と同時期に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、檜皮葺、妻入、間口3間、奥行き3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。祭神:武内宿禰命、彦多都彦命、武牟口命。

宇倍神社:写真

宇倍神社
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