観音寺(鳥取市)概要: 月光山観音寺の創建は嘉祥元年(848)、真雅(弘法大師の弟子)が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。当時は当地方の根本道場として寺運が隆盛し末寺も擁していましたが天正年間(1573〜1592年)に羽柴秀吉による因幡侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失し衰退しました。その後、長寿院から本尊を向かえ教真が再興、「日月山長福寺」から「日月山観音寺」に寺号を改めています。古くから神仏習合し日月大明神の別当寺院として祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により寺院として独立し、月光山観音寺と改称しています。
観音寺の寺宝である勢至菩薩立像は案内板によると「 勢至菩薩は智慧の光で全てのものを照らし、無上の力を得させるとされる仏である。頭上の宝冠に水瓶をつけ、手に蓮華を持つ姿、あるいは胸前で合掌した姿で表現される。単独で信仰されることは稀で、観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍となり三尊で祀られ、阿弥陀如来の右側に位置することが多い。本像は一木造の像で、現存する像高は79.1センチメートルである。現状では両腕、足の多くが失われ、寺伝による勢至菩薩の特徴を判別することは難しいが、腹をわずかに左に捻って立つ姿であることから、脇侍像として制作されたものと思われる。弘法大師作と伝えられるが、下半身の衣にひだの大きいものと小さいものを交互に繰り返す翻波式衣文の名残が見られることから、平安時代後期に製作されたものと推定される。」とあります。勢至菩薩立像は昭和30年(1955)に鳥取県指定保護文化財に指定されています。
現在の観音寺本堂は寛延4年(1751)に再建されたもので入母屋、桟瓦葺、妻入、正面1間向拝付、山門は入母屋、銅板葺き、一間一戸、四脚楼門、上層部には高欄が廻り、中心には花頭窓付。因幡西国三十三観音霊場第2番札所。宗派:高野山真言宗。本尊:聖観音菩薩。
観音寺:上空画像
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