白兎神社(鳥取市)概要: 白兎神社は鳥取県鳥取市白兎に鎮座している神社です。白兎神社の創建は不詳ですが「古事記」や「日本書紀」で記されている所謂「因幡の白兎」の舞台になったとされます。神話によると、白兎は海に住む和邇をだまして、和邇を一列に集めて数を数えるふりをして淤岐島から因幡に渡ろうとしました。
しかし、最後の一匹を数えようとした時、だましたことを気づかれた白兎は和邇にかじられ瀕死の状態になりました。そこを通りかかった八十神は「海塩を浴び、高山尾上で風に吹かれればたちまち快癒するだろう。」と告げたので、白兎はその通りにすると、さらに体調を崩しました。
大穴牟遲神が瀕死の白兎に事情を聞くと、「すぐさま水門で海水を洗い、蒲を敷きそこで体を休めば数日で皮膚が治り体調が戻るだろう。」と告げてこの地を去りました。白兎が元気になると大変感謝し大穴牟遲神と八上比売の婚姻を取り持ったと云われています。
一方、白兎神社が鎮座している境内は鳥取砂丘の西端に当たり一年を通して水位が変わらない御身洗池が形成、海上には淤岐島、海岸には気多之前と呼ばれる断崖の岬があり、地形的な特異点である事から古代人の自然崇拝の対象になっていた可能性もあります。
又、境内背後の山には奥星と三ツ星と呼ばれる古墳が伝えられ、大穴牟遲神(大国主命)と八上比売との政略結婚を取り持った豪族の墳墓だった可能性があり、白兎神社はその一族の祖神が祭られていたのかも知れません。
白兎神社の祭神である白兔神は神話から縁結びや動物医療、皮膚病平癒などに御利益があると云われ遠方からも参拝に訪れています。境内は白兎が身を乾かした身干山で、社殿の前に広がる池は白兎が海水を流した御身洗池(一年を通して水位が変わらない事から「不増不減の池」の別称があります)、白兎海岸には白兎がいたとされる淤岐島があります。
白兎神社は戦国時代の度重なる兵火の為荒廃しましたが慶長年間(1596〜1615年)に当時の鹿野城の城主亀井茲矩が再興、寛文9年(1669)と安永2年(1773)に社殿が改修され明治29年(1896)に本殿が造営、拝殿は昭和40年(1965)に造営されています。
本殿は一間社大社造、銅板葺き、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り。拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、妻入り、間口3間、外壁は真壁造り板張り、正面には「白兎神社」の社号額が掲げられています。
古くから神仏習合し「大兎大明神」や「白兔大明神」と呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により社号を白兎神社に改め村社に列しています。
白兎神社本殿の土台には全国的にも珍しい菊の紋章が彫刻されており古代に皇室と関係があったとも云われています。境内は神域として長く保たれていた為、クロキ、タブノキ、シイノキ、ヤブニッケイ、トビラ、モチノキ、カクレミノなど多種多様の植物が存在し平成12年(2000)に「白兎神社社叢」として国指定天然記念物に指定されています。祭神:白兔神。配神:保食神、豊玉比売。
白兎神社:上空画像
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