因幡国庁跡(鳥取市)概要: 因幡国庁は奈良時代から鎌倉時代にかけて因幡国の行政の中心として機能していたと推定される役所跡です。敷地内には正殿と思われる桁行5間(12m)、梁間2間(4.8m)の建物や後殿と思われる桁行5間(11.3m)、梁間2間(5.4m)の建物、南門と思われる桁行7間(18.9m)、梁間2間(7.8m)の建物跡が発見されています。正殿は国司が業務や儀式などを行ったでしたが、掘立柱で屋根は板葺、草葺、桧皮葺など簡易な素材で葺かれるなど(瓦などが発見されていない。)簡素な建物でした。後殿は正殿の北側に位置する建物で国主が政務を行った国庁の中心でした。
南門は正殿や後殿とは異なり鎌倉時代に建立されたと推定される建物で、発掘により雨落ち溝や縁石などが発見されています。遺物としては仁和2年(886)の銘が記された題箋(付箋のようなもの)、木簡、石帯(役人が正装で利用する腰帯飾)、硯、青磁器(中国製)などがあり、大伴家茂(奈良時代の貴族・歌人、三十六歌仙の一人)が天平宝字3年(759)に国司と赴任してきた正月に「新しき 年の始めの初春の けふ降る雪のいやしけ吉事」と詠んだ事でも知られています。因幡国庁跡は昭和53年(1978)に国指定史跡に指定されています。
因幡国庁跡:上空画像
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