仁風閣(鳥取市)概要: 仁風閣は鳥取県鳥取市東町2丁目に位置する洋風近代建築です。仁風閣は明治40年(1907)に皇太子(後の大正天皇)山陰行啓の際、宿舎として建てられた旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸です。設計は赤坂離宮を手懸けた片山東熊と片山の後輩で鳥取市出身の橋本平蔵、施工は地元の工匠浜田芳藏があたり、「仁風閣」との称号は元帥海軍大将東郷平八郎によって名付けられたとされます。
仁風閣は敷地面積7200u、延床面積1046u、建築面積540.7u、建物は木造2階建、屋根は寄棟風(桟瓦葺)ですが頂部にバルコニーを設け、正面にはセグメンタルペディメント(櫛型破風:銅板葺)、側面には八角階段室の尖塔屋根(銅板葺)、各所にレンガ積の煙突が設けられています。外壁は白色で塗られた下見板張、窓は縦長を基調とした両開き窓、外側には鎧戸が設けられ、庭園側2階にはガラス張りのバルコニーで構成され全体的な意匠はルネッサンス様式を基調としています。
内部も御座所、謁見所、御食堂などには格式の高い室内装飾やインテリアなどが採用されています。仁風閣は中国地方を代表とする洋風建築の遺構として大変貴重なことから昭和48年(1973)に国指定重要文化財に指定されています。又、敷地は旧鳥取城の扇御殿跡に建てられたもので、鳥取藩11代藩主池田慶栄の未亡人宝隆院の屋敷とされる宝扇庵(旧扇御殿化粧の間)や池泉回遊式の日本庭園などが残されています。
仁風閣:上空画像
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