荒尾氏廟所(倉吉市)概要: 鳥取藩主池田家の親戚筋に当たり代々家老職を勤めた荒尾志摩家(倉吉荒尾家)の廟所です。荒尾志摩家は打吹城が廃城になると麓に陣屋を設け倉吉領を明治維新まで統治、鳥取藩からは半独立的な行政が行われ、所謂「自分手政治」と言われる制度が採用されています。荒尾氏は領内菩提寺を満正寺と定め境内には初代嵩就から9代世就までの墓碑が建立され、墓域の置く左から4代勝就、3代秀就、初代嵩就、2代宣就、手前左には奥から9代世就、5代甫就、8代為就、手前右には奥から6代斯就、7代厚就の墓碑が建ち並んでいます。
墓碑は高さ約3.3m、自然石、2段の切石が基礎となり、その上に墓標を立てる形式で、一般的な大名墓で見られる五輪塔や宝篋印塔などと比べると趣きが異なります。ただし、菩提は鳥取市にある景福寺に葬られ、この地の墓碑は供養塔的な存在とされています。荒尾氏墓所(附位牌群)は倉吉の支配者の墓域として歴史的に貴重な事から平成18年(2006)に倉吉市指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-倉吉市教育委員会
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