飛龍閣(倉吉市)概要: 飛龍閣は明治37年(1904)に当時の皇太子(後の大正天皇)の宿舎として建てられた建物です(明治40年:1907年5月17日の山陰行啓で実際に利用された。)。木造平屋建、入母屋、桟瓦葺、建築面積203u、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え、庭園側は廊下分が張り出し下屋庇が廻っています。玄関など格式が高い造りで内部には御座所(床の間、違い棚、平書院付)や寝殿、浴室、化粧室などが備えられ、使用された用材は京阪神地方から吟味されものが用いられ、土台には栗、柱には檜や松などが使用されました。
飛龍閣の名称の由来は山瀬幸人氏が中国の占書である「易経」から出典したとされます。昭和39年(1964)に集会施設として改修され一般の人々に開放、利用出来るようなり、平成8年(1996)に鳥取県民の建物100選に選定、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成23年(2011)に国登録有形文化財に登録されています。
飛龍閣:上空画像
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