定光寺(倉吉市)概要: 金地福山定光寺の創建は建久年間(1190〜1198年)に伯耆・出雲両国の守護職を担った佐々木高綱により開かれたのが始まりと伝えられています。当初は律宗の寺院でしたが明徳3年(1392)南條貞宗(羽衣石城主)が機堂長応禅師(貞宗の2男、金山禅師の勅賜号)を招いて曹洞宗の寺院として中興開山しています。歴代領主となる南条氏、尼子氏、山名氏から庇護され、江戸時代の元禄4年(1691)には鳥取藩から僧禄所寺の寺格を得て伯耆3郡(久米、河村、八橋)の寺院を統括しています。
定光寺の寺宝である山名氏・尼子氏文書(附:尼子経久肖像画)は応永24年(1417)から永禄12年(1569)までの歴代領主からの寄進状、安堵状で鳥取県内に残る数少ない中世文書の遺構として貴重なことから昭和31年(1956)に鳥取県指定保護文化財に指定されています。境内にはムクノキやケヤキ、モミ様々な樹木が生い茂り5245uが昭和62年(1987)に「定光寺の森」として倉吉市保存林に指定されています。
定光寺は南条家歴代の菩提寺だったように境内には南条氏一族のものと推定される宝篋印塔(南条元秋・南条元忠・南条元続)などがあり歴史が感じられます。山門は入母屋、桟瓦葺、三間三戸、八脚楼門、下層には大木を彫り込んだ仁王面が安置され、上層部にも様々な仏像が安置されています。伯耆観音三十三霊場第32番札所(札所本尊:聖観音菩薩)。山号:金地福山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦無尼仏。
定光寺:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-鳥取県教育委員会
・ 現地案内板-倉吉市
・ 由緒碑-金地福山定光寺
|
|