田内城(倉吉市)概要: 田内城は鳥取県倉吉市巌城に位置する城郭です。田内城の築城は南北朝時代の興国年間(1340〜1345年)に当時の伯耆国守護職山名時氏が築いたのが始まりとされます。山名時氏は室町幕府の有力大名として勢力を広げ全国66か国のうち11ヶ国を領し「六分一殿」と称せられました。建武4年(1337)に伯耆国守護職に任ぜられるとこの地に田内城を築き守護所とし約20年間利用し伯耆国行政の中心となりました。延文年間(1356〜1361年)、跡を継いだ山名師義は打吹城を築いて守護所を移転させた事で田内城は打吹城の出城的な扱いとなり、以後歴史上からは消える事になりました。
田内城は標高58mの仏石山山頂に築かれた中世の山城で地名から「巌城」との別称があります。山頂には本丸として利用したと思われる平場があり、尾根沿いに複数の郭と思われる平場が散見されます。天神川と小鴨川が天然の外堀として機能し、それらの川が浸食した事で急峻な城壁が形成され、岩阿弥陀(天文13年:1544年の大洪水で犠牲になった人を供養する為に「南無阿弥陀佛」の文字が刻まれている岩。)などはその典型として見る事が出来ます。
城下町も守護所と天神川と小鴨川の舟運の拠点になった事から「見日千軒」と称される程に発展し当地域の中心地となりましたが天文13年(1544)の大洪水により大きな被害を受け衰微しました。現在でも田内城の跡地には郭の形状や空堀、土塁が散見出来、主郭と思われる平場には2層2階の模擬櫓風の展望台が設けられています。
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