大山町(歴史)概要: 大山町は古くから開けた地域で縄文時代から弥生時代の遺跡が点在しています。特に妻木晩田遺跡は日本最大級の弥生時代の遺跡(156ヘクタール)で竪穴式住居跡400ヵ所、掘立柱建物跡500ヶ所以上、墳丘墓20余基、環濠などが発見され国指定史跡に指定されています。奈良時代に入ると大山寺が開山され、最盛期には比叡山や高野山に並ぶ天台宗の拠点として寺運が隆盛し、中世には毛利氏、尼子氏、吉川氏、小早川氏、亀井氏、山名氏などから崇敬庇護を受けました。南北朝時代には楠木正成、結城親光、千種忠顕と共に「三木一草」に数えられた名和長年を輩出、長年は隠岐島を脱出した後醍醐天皇を助け船上山の戦いで幕府軍を打ち破るなど建武の新政に大きな功績を残しています。
大山町では「元弘帝御着船所」や「お腰掛けの岩」、「名和神社」、「長綱寺」など後醍醐天皇や名和氏縁の史跡が数多く点在しています。中世に入ると福頼氏や箆津氏といった国人領主達が割拠しますが室町時代には伯耆国守護職山名氏に従属するようになり伯耆衆などと呼ばれるようになります。戦国時代に入ると月山富田城主尼子経久の侵攻により尼子氏の支配となりますが、尼子氏の滅亡後は毛利氏の支配下に入ります。江戸時代に入ると鳥取藩に属し、大山町には山陰道の下市宿と御来屋宿が設けられ宿場町として発展、特に御来屋宿は平安時代中期に制定された延喜式の奈和駅とされる場所で伊勢神宮の供御所でもあり、後醍醐天皇が隠岐島より上陸した所とも云われています。
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