大山町: 名和神社

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概要・歴史・観光・見所
名和神社(大山町)概要: 案内板によると「 建武の忠臣名和長年公はじめ、名和神社一族42名をまつる神社。元弘3年(1333)、長年公は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け、天皇を船上山に迎え鎌倉幕府軍を破った。後醍醐天皇は、この年、鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活(建武の新政)、長年公は新政権で重用された。現在の社殿は昭和10年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。また、境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折りこれを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米が出てくる。」とあります。名和神社の創建は承応から明応年間(1652〜1658年)、地元の人々によって名和長年の御霊を祭る祠を、旧名和邸跡に建立したのが始まりとされます。延宝5年(1677)、鳥取藩初代藩主池田光仲が崇敬庇護し山王権現の境内に遷座し「氏殿権現」と呼ばれました。

明治維新後に建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする神社の再興運動が盛んになり明治7年(1873)に県社に列し社号を「氏殿神社」に改められ、さらに、明治11年(1878)に社号を「名和神社」に改め別格官幣社に列しました。神門(神社山門)は切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、正面3間向拝付、外壁は素木板張り。本殿は一間社流造、銅板葺、外壁は素木板張り。

主祭神:名和長年。祭神:名和義高・名和高光・名和泰長・名和行泰・名和長重・名和義重・名和高通・名和高政・名和長氏・名和貞氏・名和高長・名和高年・名和行重・名和秀村・名和五郎兵衛尉・名和重村・名和興村・名和信貞・名和広貞・名和広次・名和助貞・名和助重・名和長信・名和高直・名和行実・名和助国・名和高国・内河真信・内河真親・内河真員・内河右真・内河右弘・内河義法・内河右景・内河武景・内河国時・河迫義元・河迫忠頼・荒松忠成・香原林元親・小鴨幸清・土屋宗清。

名和神社:写真

名和神社
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