大山町: 逢坂八幡神社

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概要・歴史・観光・見所
逢坂八幡神社(大山町)概要: 逢坂八幡神社は鳥取県西伯郡大山町松河原に鎮座している神社です。逢坂八幡神社の創建は貞観7年(863)、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。当初は大阪郷宇佐八幡宮や大阪八幡宮と称し、広く信仰された事で社運が隆盛し多くの神官、社僧、社領を有する大社として大きな影響がありました。応仁の乱の兵火により一時衰退しましたが、天文12年(1573)、当時の領主尼子晴久が当社に祈願したところ見事念願成就したことから社領120石を安堵し以来、歴代尼子氏から崇敬庇護されます。尼子氏が滅ぶと豊臣秀吉の庇護となりますが、社領は20石に減じられ、さらに慶長3年(1598)の火災で社殿が焼失し、慶長5年(1600)に中村一忠が米子藩主に就任すると社領が認められず神宮寺も廃寺に追い込まれています。

米子藩が廃藩となり鳥取藩領に入ると歴代藩主となる池田家、松平家から崇敬され社領(3石5斗8升)の安堵や例祭費用の寄付、幕、提灯などが奉納されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て社号を「逢坂神社」に改称、明治5年(1872)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。大正6年(1917)に松河原神社と岡神社、河内神社を合併し大正9年(1920)に現在の社号である「逢坂八幡神社」に改められています。

逢坂八幡神社社殿は拝殿と本殿が一体でT字型を形成し、拝殿は入母屋、銅板葺、妻入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、本殿は3間社流造、銅板葺。境内には随神門(神社山門)や割拝殿(当社では社務所と思われます)、六角堂(神仏習合時代の神宮寺の堂宇の1つ)などが建立されています。祭神:誉田別尊、息長帯姫尊、田心姫尊、湍津姫尊、市杵島姫尊、天照皇大神、素盞鳴尊、稲田姫尊、天穂日尊、活津彦根尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、天之忍穂耳尊、大山祇尊、木花咲耶姫尊、倉稲魂命、武内宿禰命。

逢坂八幡神社:写真

逢坂八幡神社
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