大山町: 大神山神社奥宮

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概要・歴史・観光・見所

大神山神社奥宮(大山町)概要: 大神山神社奥宮は鳥取県西伯郡大山町大山に鎮座してる神社です。大神山神社の創建は養老2年(718)、俊方(出雲の国玉造り人)によって開かれたのが始まりと伝えられています。

当初は地蔵尊を祭る寺院でしたが、その後、智明権現と神仏習合し大山(標高:1711.9m、出雲の国引き神話で八束水臣津野命が越の国を引っ張る際に杭として利用された火神岳。)を御神体とする山岳信仰の拠点として周辺地域に大きな影響力を持ちました。

格式も高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内小社に列し、「続日本後紀」によると承和4年(837)2月5日に従五位下、「日本文徳天皇実録」によると斉衡3年(856)8月5日に正五位下、「日本三代実録」によると貞観9年(867)4月8日に正五位上に列し伯耆國2之宮として信仰を広げました。

平安時代に修験道が盛んになると修験僧の一大拠点として発展し最盛期には別当である大山寺と合わせると支院、末寺が100ヵ寺を数え3000人の僧兵を擁する大社となっています。元弘3年(1333)には隠岐を脱出した後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の戦勝祈願を行い、船上山の戦いにも天皇側で参加するなど朝廷とも強く結びついていました。

歴代領主からも崇敬庇護され天文24年(1555)には尼子晴久が社殿の造営を行い、天正10年(1582)には毛利氏が社殿の改修と社領1千貫を寄進しています。

江戸時代に入ると、歴代鳥取藩主から庇護され寛永9年(1632)には初代藩主池田光仲が社殿の造営と社領の寄進が行われ、文化2年(1805)には津和野藩8代藩主亀井矩貴が大神山神社末社下山神社の社殿(国指定重要文化財)を造営しています。

古くから神仏習合し、「大智明権現」、「大山権現」などと呼ばれ、本地仏を地蔵菩薩として信仰されてきましたがを明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され現在の社号である「大神山神社」に改称、明治4年(1871)に国幣小社に列しました。

別当寺院だった大山寺は明治8年(1875)に一端廃寺となり多くの支院や坊、仏塔などが廃され、遥拝所には改めて大己貴命の分霊を勧請して大神山神社奥宮と定められています。当初は、大山山頂が奥宮、当社は奥宮の遥拝所という位置付けで、さらに麓に冬宮を設けて、夏は奥宮(山頂)、冬は冬宮で祭祀が行われてきましたが、現在は遥拝所が奥宮、冬宮が本社として祭祀が引き継がれています。

出雲国神仏霊場第9番札所。祭神:大穴牟遅神(大国主:本社)、大己貴命(大国主:奥宮・相殿:大山津見神、須佐之男神、少彦名神)。

大神山神社奥宮の文化財: 現在の社殿は(本殿・拝殿・幣殿)は寛政8年(1796)に火災で焼失後、文化2年(1805)に再建されたもので国内最大の権現造りと云われています。拝殿は入母屋(正面軒唐破風付き)、こけら葺、妻入、桁行8間、梁間3間(拝殿の両側に桁行9間、梁間2間の長廊下付き)、本殿は入母屋、こけら葺、桁行3間、梁間2間、3間向拝付。

大神山神社奥宮社殿は規模も雄大ですが各所に施された彫刻や幣殿天井の草花絵、金箔の意匠、日本最大規模の白檀塗など見所が多く江戸時代後期の神社建築の代表的な存在で大変貴重な事から昭和63年(1978)に国指定重要文化財に指定されています。

大神山神社奥宮神門は案内板によると「 単層・桧皮葺・四脚門の向唐門で、江戸時代末期の技法が豊かな門である。神門右側の石柱にあるように、安政4年(1857)にいまの日野郡根雨の近藤氏が寄進したことがわかる。 鳥取県教育委員会 」とあります。大神山神社奥宮神門は鳥取県指定保護文化財に指定されています。

大神山神社石の大鳥居は嘉永7年(1854)に建てられたもので石造、高さ8.5m、幅12m、柱直径約2尺、神明鳥居形式、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成14年(2002)に国登録有形文化財に登録されています。

大神山神社奥宮:上空画像

唐門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板
・ 現地案内板-鳥取県教育委員会


大神山神社奥宮:ストリートビュー

大神山神社奥宮:写真

大神山神社奥宮参道正面に設けられた石鳥居と社号標
[ 付近地図: 鳥取県大山町 ]・[ 大山町:歴史・観光・見所 ]
大神山神社奥宮石畳みと石燈篭 大神山神社奥宮どこまでも続くような錯覚に陥る参道 大神山神社奥宮石仏は神仏習合の名残 大神山神社奥宮鳥居が遠くに見える緑のトンネル 大神山神社奥宮長々と続く石畳みと要所に配されている鳥居 大神山神社奥宮手水舎と御神水
大神山神社奥宮石段から僅かに見える神門と石垣 大神山神社奥宮神門の遠景画像 大神山神社奥宮参道石段から見上げた神門 大神山神社奥宮格式の高い神門の軒唐破風 大神山神社奥宮神門の後ろ姿 大神山神社奥宮高台から見下ろした神門
大神山神社奥宮参道に流れる清水でのどを潤す 大神山神社奥宮手水鉢に流れる山水で身を清める 大神山神社奥宮石垣の隙間から見える社殿 大神山神社奥宮堂々たる千鳥破風と軒唐破風の意匠 大神山神社奥宮拝殿向拝部の右斜め前方から見た画像 大神山神社奥宮拝殿全景を右斜め前方から眺めた写真
大神山神社奥宮本殿と幣殿を右斜め前方から見た画像 大神山神社奥宮幣殿の外壁は真壁造板張り 大神山神社奥宮本殿は石垣の上に建てられやや高所に位置しています 大神山神社奥宮御神体である大山の山々を社殿越に見る 大神山神社奥宮こけら葺きの向拝 大神山神社奥宮向拝の欄間部に施された龍や鳳凰の精緻な彫刻
大神山神社奥宮回廊の柱と縁側 大神山神社奥宮狛狐から見る社殿(拝殿・幣殿・本殿) 大神山神社奥宮回廊の縦長画像 大神山神社奥宮境内に建立されている石仏群 大神山神社奥宮参道石段と大木 大神山神社奥宮巨石を抱き込んだ巨木の根っこ


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