米子市: 宗形神社

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概要・歴史・観光・見所
宗形神社(米子市)概要: 宗形神社の創建は不詳ですが、5世紀後半から6世紀初頭に宗像氏の一族がこの地に土着し氏神である宗像三女神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。宗像氏は雲神の嫡裔、大国主命の神裔、筑前国の古族、正三位中納言清氏親王を祖、全国宗像神社の総本社・宗像大社の大宮司家とされる古代の氏族で、その一族が海路にて当地に辿り着き開発したと思われます(上陸に利用された船は石化し御船塚と呼ばれ信仰に対象になっていましたが、明治時代以降開発により破却されました)。境内には円墳6基、前方後円墳5基が確認されており宗像氏の聖地として古代から神聖視され神社信仰へと発展したと推定されています。古くから中央にも知られた存在で、六国史の1つ「文徳実録」によると斉衡3年(856)に五位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に小社として記され、式内社に列したのは会見郡では胸形神社と大神山神社の2座だけで伯耆国内でも6座にしかなく伯耆国六社の1つ、伯耆国三之宮として崇敬されました。歴代領主からも崇敬庇護され功治2年(1556)には尼子晴久によって当初からの鎮座だった宮ノ谷の山頂から現在地に遷座し(宮ノ谷は古代の海岸線に近く海神を祭る宗形神社の境内としては適地だったと思われます)、社殿が造営され社領300石が寄進されています。吉川元春は太刀や兜を奉納すると共に120石の社領を加増し、初代米子藩主となった中村一忠は社殿用の木材100本を寄進しています。江戸時代に入ると歴代鳥取藩主池田家が祈願所として庇護し池田家の家紋の使用の許可、例祭には幣使を代参させ慶応3年(1867)には池田慶徳が参拝しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を受けて「宗形神社」に社号を改め明治4年(1871)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。

境内には神社山門(随神門:切妻、銅板葺、三間一戸、四脚単層門)や拝殿(入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、桁行6間、梁間2間、正面1間唐破風向拝付)、本殿(一間社切妻造、妻入、檜皮葺、大社造?)などがあり古社の雰囲気が感じられます。祭神:田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命。相殿:経津主命、武甕槌命、日本武命、上筒男命、中筒男命、底筒男命、誉田別命、伊弉諾命、伊弉册命、大日?命 素盞嗚命、大國主命。合祀:倉稲魂命、天児屋根命、天太玉命、猿田彦命、鈿女命、阿蘇彦命、阿蘇姫命、保食命、月読命。例祭5月3日。

宗形神社:写真

宗形神社
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