米子市: 感応寺

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概要・歴史・観光・見所
感応寺(米子市)概要: 感応寺の創建は慶長5年(1600)、中村一忠が日長上人を招いて開いたのが始まりと伝えられています。中村一忠は関が原の戦いで東軍に与した功により17万5千石で入封し米子藩を立藩、未完だった米子城を完成させ城下町を整備すると、旧領だった駿河城(静岡県静岡市)の城下に境内を構えた感応寺11世円覚院日長上人を召還しました。日長上人は日向上人を開祖、日朝上人を2世、自らを3世として寺観を整え中村一忠の菩提寺として庇護されました。慶長14年(1609)に一忠が20歳の若さで死去すると垂井勧解由、服部若狭の2人が殉死し3人が境内に葬られました。江戸時代に入ると徳川家康の側室である養珠院(お万の方)が日蓮宗(本山:身延山久遠寺・山梨県身延町) に帰依したことで徳川頼宣(初代紀州藩主:養珠院の長男・家康の10男)が紀州藩(和歌山県)にも感応寺を創建した為、静岡、和歌山と共に日本法華三感応寺に数えられました。山門は文久3年(1863)の火災で類焼しなかった唯一の建物で一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門、上層部は真壁造り白漆喰仕上げ、花頭窓付、江戸時代末期に米子城の古材を再利用して建てられたと伝えられています。感応寺境内には一忠の五輪塔(法名:青龍院殿一融源心大居士)が建立され、一忠と殉死した2人の家臣の木像が御影堂に安置していましたが、御影堂は明治42年(1903)に朽ちた為、現在は本堂で祀られ、「中村一忠墓地(附:中村一忠主従木像三体)」として米子市指定史跡に指定されています。宗派:日蓮宗。本尊:日蓮聖人奠定の大曼荼羅。

感応寺:写真

感応寺
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