池田家墓所(鳥取市)概要: 鳥取藩主池田家墓所は鳥取県鳥取市国府町奥谷宮下に位置しています。鳥取藩初代藩主池田光仲は元禄6年(1693)、享年64歳で鳥取城の城内で死去(脳卒中とされる。)すると墓所送定の儀が起り菩提寺である興禅寺の境内ではなく現在の鳥取市国府町奥谷に定められました。
案内板によると「 鳥取藩主、池田家墓所は、池田家初代光仲以下11代慶栄に至る、歴代藩主と藩主室等の墓所があり、75基の墓碑のほか多数の石燈籠を整然と配している。藩主の墓碑は、いづれも亀趺円頭型の壮大なもので江戸時代大名墓所の代表的なものの1つである。 財団法人 史跡鳥取藩主池田家墓所保存会 」とあります。
墓守として池田家墓所の境内に設けられた千岳庵は、後に2代藩主池田綱清の法名「清源寺殿良宗常温大居士」に因み清源寺に改称し興禅寺の末寺となり、明治時代初期に鳥取藩が廃藩になると庇護者を失い廃寺となっています。池田家墓所で採用された墓碑は亀趺円頭墓碑と呼ばれ、高さは約4.6m程で周辺を玉石垣(鳥取市福部町南田産の石材を使用)で囲い、中央に台石を配し、その上に亀趺と呼ばれ、姿は亀に似た中国における伝説上の生物を模った石像を載せ、その上部に墓碑を設けています(2代綱清の墓碑だけ、「生類憐れみの令」が発令中だった事で亀趺がありません)。
この墓碑は大名の中でも特に石高が高い家が採用した為、当時の鳥取藩主池田家の格式が窺えます。当時は墓碑を収める霊廟や廟門、回廊がそれぞれ設けられていましたが、明治に入り鳥取藩が廃藩になると墓守だった清源寺が廃寺となり、急速に荒廃した為に取り除かれました。池田家墓所は大名家の墓制を留める大変貴重な史跡として昭和56年(1981)に国指定史跡に指定されています。
池田家墓所:上空画像
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