天神山城(鳥取市)概要: 天神山城は鳥取県鳥取市湖山町南3丁目に位置する城郭です。天神山城は文正元年(1466)、山名勝豊(因幡国第5代守護職)が築いたのが始まりとされ、この地に守護所を移し長きに渡り因幡国の政治的中心となりました(勝豊は長禄3年:1459に死去した記録もある為、諸説あります)。
信用ある資料としては永正9年(1512)に当時の城主山名豊重が天神山城から出兵し但馬守護である山名誠豊と山名豊頼との戦に破れ討死した事が記載されている事から少なくともこれ以前に築城されていた事が分かっています。
但馬山名氏の勢力が拡大すると度々天神山城が戦場となり、天文17年(1548)に13代山名誠通が但馬国の守護山名祐豊に敗れると因幡守護職には祐豊は弟である山名豊定が派遣されます。
永禄6年(1563)には但馬山名氏の重臣で鳥取城の城主武田高信から攻められ天神山城は落城しています。当時の因幡守護山名豊数は一時鹿野城に退きますが天正元年(1573)、尼子氏の支援を受けた山名豊国(豊数の弟)が武田氏を攻め鳥取城を落城させ守護所を鳥取城に移しました。天神山城の廃城年は不詳ですが、守護所を鳥取城に移した前後と思われます。
天神山城は標高25mの天神山と標高40mの卯山に築かれた平山城で内堀は南北400m、外堀は総延長2.6kmと壮大なもので、主郭と思われる平場の高台には3層の天守閣が設けられたと推定されています(天守閣は天神山城が廃城になった際、鳥取城に移築されたとされます)。
発掘調査では土器、中国製陶磁器、備前焼、古銭、下駄、曲げ物等が発見され城郭には現在でも井戸、櫓跡、堀等が見ることが出来ます。天神山城は中世の因幡国の中心地として歴史上重要な地で現在でも中世城郭の遺構が残る貴重な存在として昭和51年(1976)に鳥取県指定史跡に指定されています。
天神山城:上空画像
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