興禅寺(鳥取市)概要: 龍峯山興禅寺は鳥取県鳥取市栗谷町に境内を構えている黄檗宗の寺院です。興禅寺の創建は寛永9年(1632)、池田光仲が鳥取藩に転封となった際、池田忠継(岡山藩初代藩主、光仲の叔父)の菩提寺である広徳山龍峯寺を鳥取城の城下に移したのが始まりとされます(寺号は池田忠継の戒名「龍峯寺殿雲台元祥大居士」に因む)。当初は臨済宗妙心寺派の寺院でしたが元禄6年(1693)に光仲が死去した事を受け元禄7年(1694)に黄檗宗に改宗、光仲の戒名「興禅院殿俊翁義剛大居士」に因み龍峯山興禅寺に寺号を改称しています。
興禅寺は歴代鳥取池田家の菩提寺として庇護されたことで寺運が隆盛し大年寺(宮城県仙台市:仙台藩伊達家)、東光寺(山口県萩市:長州藩毛利家)と共に黄檗宗の三大叢林に数えられました。興禅寺は池田家の菩提寺ではありますが境内には墓碑が設けられず現在の鳥取市国府町奥谷に「池田家墓所」が整備され現在は国指定史跡に指定されています。江戸時代中期以降、度重なる火災や明治4年(1871)に廃藩置県が発令されると鳥取藩からの庇護が失われ急速に衰退し明治21年(1888)龍雲寺(兵庫県美方郡新温泉町)に本堂を売り払うなど境内の縮小に余儀なくされます。
現在の興禅寺本堂は池田家の御霊屋を改修した建物で、文化9年(1812)の火災で焼失後の文化11年(1814)に再建、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、正面1間切妻妻入向拝付、建築面積214u、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、内部は御拝ノ間(24畳)、御次ノ間(26畳)、御高間(10.5畳)、御霊壇で構成され天井には花鳥など172図の天井画が描かれています。興禅寺本堂は江戸時代後期の御霊屋建築の遺構として貴重で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成25年(2013)に国登録有形文化財に登録されています。
興禅寺書院に作庭された蓬莱式池泉観賞庭園は江戸時代初期に池田光政が創建した国清寺時代のものと推定される名園で、約1300u、久松山系の山裾の地形や植生、樹木を巧みに利用し枯滝石組や鶴亀石組によって仙人が住むという伝説の蓬莱山を表現、貴重な事から平成29年(2017)に鳥取県指定名勝に指定されています。庭園に西隅に建立された灯籠は「父」、「神の子」、「聖霊」を表現している事から隠れ切支丹が礼拝したと推定されるもので、花崗岩製、「キリシタン灯籠」の異名があり貴重な事から昭和32年(1957)に鳥取県保護文化財に指定されています。
又、興禅寺境内一帯はシジミチョウ科の小型の蝶である「キマダラルリツバメチョウ」の生息地で明治30年代に発見されてから注視され、大変貴重な事から昭和9年(1934)に国指定天然記念物に指定されています。境内には渡辺数馬や猪多伊折佐、臼井本覚等の墓、尾崎放哉の句碑があります。山号:龍峯山。宗派:黄檗宗。本尊:釈迦牟尼。
興禅寺:上空画像
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