鳥取藩

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鳥取藩概要
鳥取藩概要: 慶長5年(1600)、池田長吉(池田輝政の弟)が6万石で入封し鳥取藩を立藩、元和元年(1615)に2代長幸が備中松山藩に転封になると元和3年(1617)に池田光政が姫路藩から32万石で入封します。光政は本来池田家の本家筋(池田輝政の孫)でしたが幼少だった為、軍事的重要拠点だった姫路藩では荷が重過ぎるとの判断で鳥取藩に移封になっています。光政は鳥取城の近代化や城下町の整備など鳥取藩を基礎を固めましたが寛永9年(1632)、今度は親戚筋である岡山藩池田家の嫡子光仲が幼少を理由に鳥取藩32万2千石で移封となり、代わって光政が岡山藩に移ります。鳥取池田家は因幡伯耆2ヶ国を領する大藩だった為、慶長20年(1615)に発令された一国一城令後にも伯耆国の中心として米子城が認められ家老である荒尾氏が城代として赴任し、領内の要地である倉吉には荒尾氏、松崎には和田氏、八橋には津田氏、浦富には鵜殿氏がそれぞれ陣屋を設けさせ鳥取藩とは半独立的な権限を持った自分手政治が行われました。又、一族である池田仲澄(池田光仲の次男)には鹿野領(鹿奴領)2万5千石(後に3万石)を与え鳥取東館新田藩を立藩させ、池田清定(池田光仲の4男)には若桜領1万5千石を与え鳥取西館新田藩を立藩させ鳥取藩の領内組織しました。

鳥取藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代池田長吉1600〜1614年6万石 
2代池田長幸1614〜1617年6万石 
初代池田光政1617〜1632年32万石 
初代池田光仲1632〜1685年32万5千石 
2代池田綱清1685〜1700年32万5千石 
3代池田吉泰1700〜1739年32万5千石 
4代池田宗泰1739〜1747年32万5千石 
5代池田重寛1747〜1783年32万5千石 
6代池田治道1783〜1798年32万5千石 
7代池田斉邦1798〜1807年32万5千石 
8代池田斉稷1807〜1830年32万5千石 
9代池田斉訓1830〜1841年32万5千石 
10代池田慶行1841〜1848年32万5千石 
11代池田慶栄1848〜1850年32万5千石 
12代池田慶徳1850〜1871年32万5千石 
13代池田輝知1871年32万5千石 

鳥取藩
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