梶山古墳(鳥取市)概要: 梶山古墳は7世紀に築造された変形八角形墳で、9世紀頃まで追葬又は祭祀行為が成されていたと推定されています。埋葬者は特定されていませんが天武天皇4年(675)に天武天皇によって因幡国に流された麻績王が有力視されています(麻績王の配流地は日本書紀では因幡、万葉集で歌われてる歌には伊勢の地名が出ています)。麻績王は7世紀末の皇族ですが、誰なのかは不詳で大友皇子や美努王、柿本人麻呂の別称とも云われ、一族も同時に他所に流罪になっています。
梶山古墳の形状は対角長17m、1辺2.5〜8.5m、高さ20m、幅14mの変形八角形で前方には祭祀場と推定される方形壇が設けられ、方形壇の上部に変形八角形墳が築かれたものとしては日本最古とされます。石室は全長約9m、幅60〜80cm、玄室、玄門、前室、羨道から構成され玄室の奥壁には昭和53年(1978)の発掘調査により中国地方で始めて彩色壁画(体長53cmの魚、その上部に曲線文、両側に同心円文と三角文。)が発見されました。
梶山古墳は中国地方で極めて珍しい彩色装飾古墳で、国内でも奈良県にある高松塚古墳に次ぐ貴重な史跡とされ、当時、当地方にも高度の技術をもった渡来人が召還され古墳の築造などに尽力していた事が窺えます。梶山古墳は彩色装飾古墳と変形八角形墳を合わせ持つ大変貴重な史跡であることから昭和54年(1979)に国指定史跡に指定されています。
梶山古墳:上空画像
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