諏訪神社(智頭町)概要: 諏訪神社は鳥取県八頭郡智頭町智頭に鎮座している神社です。諏訪神社の創建は弘安元年(1278)、諏訪大社(長野県諏訪市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。以来、軍神、農業、鎮火の神として広く信仰され歴代領主からも崇敬庇護され、弘安4年(1281)の弘安の役(元寇・蒙古襲来)の際には敵国降伏の祈願が行われ、鎌倉時代末期に後醍醐天皇が隠岐の島から脱出した際には関東(鎌倉幕府)調伏の祈願が行われています。
天正11年(1583)、羽柴秀吉による因幡侵攻の兵火により社殿が焼失、その後再興され、江戸時代には鳥取藩主池田家の祈願所として庇護されます(諏訪神社の境内は因幡街道智頭宿に面し、智頭宿が藩主池田氏の宿泊地となった為、信仰が篤かったと思われます)。古くから神仏習合し「諏訪大明神」と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令後に現在の社号である諏訪神社に改称し、郡内一の大社だった事から、周辺から多くの神官達が集まり郡中安寧と発展を祈願しそうです。
現在の諏訪神社本殿は天保3年(1832)に再建したもので一間社、入母屋造、屋根正面に千鳥破風、一間唐破風付き向拝、小規模ながら格式の感じる建物で象や獅子、龍など随所に施された彫刻には江戸時代後期の社殿建築の要素が見られます。拝殿は明治37年(1904)に改築されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、梁間2間、正面3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り。例祭である「柱祭り」は天明2年(1782)から6年毎に行われ神事で町内の山から4本の杉の大木が切り出され、町内を練り歩いた後は本殿4隅に奉納する特殊神事で、平成13年(2001)に鳥取県指定無形民俗文化財に指定されています。祭神:建御名方神。
諏訪神社:上空画像
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