智頭宿(因幡街道・備前街道:宿場町)

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写  真 備  考
智頭宿(因幡街道・備前街道:宿場町)
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【因幡街道】因幡街道(上方往来)は山陽道の姫路城下(兵庫県姫路市)と山陰道の鳥取城下(鳥取県鳥取市)を結ぶ脇街道で、特に鳥取藩では藩主池田家の参勤交代で利用する経路にもなっていた事から重要視されました。池田家32万5千石の大身であった為、因幡街道沿いの宿場町で宿所として利用された智頭宿と大原宿は本陣が設けられ、宿場町も特に整備され繁栄しました。因幡国(鳥取県)では因幡街道より、智頭街道や智頭往来などと呼ばれるのが一般的で参勤交代だけでなく、旅人や商人達も数多く利用しました。

【備前街道】−作州と呼ばれた美作国(現在の岡山県)津山城下(津山市)と智頭宿とを結ぶ街道で、作州往来とも呼ばれました。津山は内陸部だった為、日本海の海産物や塩などが運ばれたと思われます。

【智頭宿】−智頭宿(鳥取県智頭町)は鳥取藩主池田家が参勤交代で往路では最初の宿所、復路では最後の宿所となった宿場町で、家臣達も智頭宿で往路は見送り、復路では出迎えが行われました。その為、藩主の宿所となる本陣が設けられましたが、一般的に見られる宿場の有力者の邸宅を本陣とするのではなく、藩の施設として本陣と奉行所の両方が設置され屋敷内部には藩の役人の役宅や大門、門番小屋、厩なども建てられていました。又、津山(岡山県津山市)とを結ぶ備前街道(作州往来・備前往来)が智頭宿から分岐していた為、物資の集積場や中継地としても発展し因幡側では最大の宿場町となりました。文化9年(1812)に鳥取城下に大火が発生すると、建物を再建するのに大量の木材が必要となり、智頭宿周辺の杉材が重要視され、それを元に財を成す家も発生しました。中でも石谷家は山林地主として巨大な富を所有するようになり、現在でも広大な屋敷には自ら所有する山から産出された良材を用いた巨大な邸宅が残され主屋や座敷棟など8棟が国指定重要文化財、庭園は国指定名勝に指定されています。明治時代中期以降、近代交通網の遅れから衰微しましたが、その分、石谷家住宅をはじめ、旧塩屋出店主屋(国登録有形文化財)や米原家住宅(国登録有形文化財)など古い町屋建築と、下町公民館(国登録有形文化財)、中町公民館(智頭消防団本町分団屯所)、智頭消防団本町分団屯所(国登録有形文化財)、旧塩屋出店西洋館(国登録有形文化財)などの洋風建築が点在し、宿場町らしい町並みが残されています。

【諏訪神社】諏訪神社は弘安元年(1278)、信濃国(現在の長野県)の一之宮である諏訪大社から勧請して創建されました。江戸時代に入ると智頭宿が鳥取藩最大の宿場町として重要視された為、諏訪神社はその守護神であるとして歴代藩主を担った池田家の崇敬社となり庇護されました。例祭の「柱祭り(鳥取県指定無形民俗文化財)」は本社諏訪大社の「御柱祭り」を模したもので、6年毎に山から4本の杉の大木を切り出し、町内を練り歩いた後に境内に入り本殿の4隅に立てられます。

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