智頭町: 板井原集落

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概要・歴史・観光・見所
板井原集落(智頭町)概要: 板井原川沿いにある農山村集落で現在ある板井原集落110棟余りの建物の内23棟が江戸時代から昭和初期建てられた伝統的な建物が残され昭和30年代の「日本の山村集落の原風景」とも言われています。板井原集落は平家の落人の隠れ里として伝えられているものの明応8年(1499)に土地売買の証文が残っている事から集落としての形成は15世紀末と推定されています。当初は稲作が中心の生業でしたが、山間地で耕地の拡大が望めなかった事から次第に炭焼きや養蚕、畑作、木材の産出など複合的な生活が営なわれました。

明治時代に入り養蚕業が盛んになると建物の建替えも進み、明治32年(1899)の板井原大火で18棟が焼失(この火災で集落の有力者の土蔵が焼失し古文書や記録なども同時に失われ、集落の歴史的な詳細が不詳になっています)、大正時代に大きく繁栄した事で2階建の建物が建てられるようになり茅葺屋根の建物も次第に姿を消しました。

板井原集落は昭和42年(1967)にトンネルが開通すると、急速に過疎化が進み、同時に建物の近代化も行われましたが、集落内部に車が入って来れないことから六尺道と呼ばれる細い生活道が現在でも主要な道筋で多くの家屋がこの道沿いに設けられています。

塀や植栽など明確な敷地境界が少なく全体がゆるやかなルールによって敷地割りされているので、集落外の人間が中に入るとある種の違和感を感じることが出来ます。

板井原集落は現在でも主屋や土蔵などの他、養蚕場と思われる建物、智頭町指定文化財に指定されている茅葺屋根の「藤原家住宅」、昭和初期に建てられた国登録有形文化財の「旧智頭小学校板井原分校」、板井原集落の鎮守で国登録有形文化財に登録されている「向山神社」などが点在し当時の山村の風景を残す貴重な存在である事から平成16年(2004)に鳥取県選定伝統的建造物群保存地区に選定されています。

向山神社: 由来等の詳細は不詳ですが板井原集落の鎮守で境内は集落を見下ろせる高台に位置しています。本殿は明治6年(1873)に建立されたもので一間社流造、銅板葺、建築面積3u、向拝木鼻の彫刻など江戸時代末期以降の神社本殿建築の特徴が見られます。

社拝殿及び覆殿は昭和初期に建てられたもので、建築面積33u、拝殿は切妻、妻入、鉄板葺、外壁は真壁造、素木板張、覆殿は切妻、鉄板葺、平入、外壁は吹き放し。籠堂は大正時代に建てられたもので、木造平屋建、切妻、妻入、鉄板葺、建築面積20u、外壁は真壁造、素木板張、信者や参拝者が籠る施設で内部には囲炉裏が設けられています。

向山神社の本殿、拝殿、覆殿、籠堂は板井原集落の景観を構成する重要の要素の1つで本殿は「造形の規範となっているもの」、拝殿、覆殿、籠堂は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成18年(2006)に国登録有形文化財に登録されています。

板井原集落:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-鳥取県教育委員会


板井原集落:ストリートビュー

板井原集落:写真

板井原集落
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