鹿野町(陣屋町)・町並み

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鹿野町(陣屋町)
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【鹿野町・概要】鹿野町(鳥取県鳥取市)は、鹿野城の城下町として整備された町です。鹿野城が何時頃に築かれたのは判っていませんが、南北朝時代以降当地に配され国人領主に成長した志加奴氏の居城だったとされます。志加奴氏については資料が少なく、軍記物で史実が疑問視されているものの「陰徳太平記」によれば天正13年(1544)に尼子晴久が因幡に侵攻し、当時の城主鹿野入道は籠城戦に臨みましたが奮戦虚しく落城し、志加奴氏(鹿野氏)も大名家からは没落したと思われます。その後は尼子氏が一時支配しましたが、永禄9年(1566)に毛利家が台頭、しかし、羽柴秀吉の因幡侵攻により秀吉に従った亀井茲矩が1万3千5百石で鹿野城に配されています。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで茲矩は東軍に与し西軍方の鳥取城を落城させた事で加増を受け3万8千石で鹿野藩を立藩、城下町も藩都として整備拡張したと思われます。さらに茲矩は日本海側の大名では珍しいシャムと交易するなど藩の発展に大きく尽力しますが元和3年(1617)、2代亀井政矩が津和野藩(島根県津和野町)に移封になった事を受け鹿野藩は廃藩となり、領地は鳥取藩(鳥取県鳥取市)に組み込まれ一国一城令が発令されていた事もあり鹿野城も間も無く廃城になったと思われます。

その後、鳥取藩の新田藩領になったものの、政務は鳥取藩の本城である鳥取城で行われ、明治元年(1868)になりようやく鹿野藩が立藩し陣屋が設けられましたが、財政的に大きな問題があり程なく廃藩となり鳥取藩に吸収されました。

城下町として重要性は失われたものの、鳥取城下と山陰街道(伯耆街道)の青谷宿とを結ぶ鹿野往来の宿場町として多くの物資の集積場となり、周辺の経済的中心として発展しました。現在も、街道沿いには古民家が建ち並ぶ良好な町並みが残され、城下町時代の古い地名なども継承されています。

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