若桜神社

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概要・歴史・観光・見所
若桜神社概要: 若桜神社の創建は不詳ですが、古くは八兵衛谷(若桜鬼ヶ城の麓)に鎮座し「松上大明神」と称していました。鎌倉時代初期に梶原景時の変で功があり因幡国山田周辺が与えられた矢部氏が若桜鬼ヶ城を築いた際、宮ノ元に遷座し、以来、歴代若桜鬼ヶ城主に庇護されたことで社運も隆盛しました。広く知られるようになると元弘3年(1333)には後醍醐天皇が京都に還幸の際、名和長年が鉾を奉納、山名氏が因幡国の守護になると神鏡を寄進しています。天正9年(1581)、羽柴秀吉による因幡侵攻の兵火により多くの社殿、社宝が焼失し一時荒廃しますが、その後若桜鬼ヶ城の城主となった木下備中守が社殿を再建しています。

慶長6年(1601)山崎甲斐家治が若桜鬼ヶ城の城主になると熊野権現(赤松村)と八幡神(三倉村)を合祀し社殿を再興し、元和3年(1617)に2代山崎家治が備中国成羽藩(岡山県高梁市成羽町)に移封となりると、当地は鳥取藩領になった為、以後、鳥取藩主池田家が庇護し社領が安堵、度々神宝も奉納されています。万治2年(1659)には池田光仲から能面を3面寄進され、それを元に御幸祭が始まったとされ神輿渡行や麒麟獅子舞など当地域最大の祭りとして発展し、現在は「わかさまつり」として引き継がれています。古くから神仏習合してましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され郷社に列し明治6年(1873)に「若桜神社」に改称、明治44年(1911)に神饌幣帛料供進神社の指定を受けています。祭神:国常立命。合祀神:天照大御神、誉田別命、素盞鳴尊、天御降産尊、保食神、倉稲魂神、菅原道真命、大己貴命、豊受神、彌都波能売神、大山祇命、軻隅突智命、伊弉冊尊。例祭:5月3日。

若桜神社の神社山門(随神門)は切妻、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、朱塗り、拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、外壁は真壁造、素木板張、本殿は三間社入母屋造、銅板葺、平入。境内は神域だった為、古くからの原生林が保存され(一部植林も見られる)、特にシラカシの巨木、古木が多くカシ林が形成され照葉樹林として貴重な事から「若桜神社社叢」として昭和57年(1982)に鳥取県指定天然記念物に指定されています。御幸祭は現在は隔年、宵宮には浦安の舞と神楽が奉納、大祭当日には大祭式典、渡御式、浦安の舞、獅子舞が奉納、御幸行列が町内を練り歩き午後8時頃、参道の石段に松明に明かりが灯り、榊や神輿が社殿まで駆け上がる。

若桜神社:写真

若桜神社
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