若桜弁財天(江嶋神社)

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概要・歴史・観光・見所
若桜弁財天(江嶋神社)概要: 若桜弁財天の創建は不詳ですが伝承によると文治年中(1185〜1189年)、平家一族の小松備中守平師盛卿がこの地へ落ち延び、平家の氏神である厳島神社(広島県廿日市市の宮島)の祭神:弁財天(市杵嶋姫命)を勧請したのが始まりと伝えられています。ただし、元々は社殿背後の大岩(弁天石)が御神体として祀られ、社殿が無かった事からも古代からの自然崇拝の祭祀場だったとも考えられます。信仰が広まると歴代若桜鬼ヶ城の主である矢部氏、木下重堅、山崎家盛、山崎家治の祈願所として庇護され、江戸時代に入ると鳥取藩初代藩主池田光仲が篤く帰依し、毎年例祭には家臣を代参させ銀銭を奉納すると国家安泰、五穀豊穣、福寿円満の祈願を行ったとされ、社運も隆盛します。明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により仏教色の強い当社は事実上廃社となり信仰も薄れましたが、大正5年(1916)に三倉池ノ谷村の池谷神社(神日本磐余彦命)と足谷村の虎石神社(手力雄命)を合祀して江嶋神社に社号を改め再興を果たしました。境内は渓流や小滝、巨石、奇岩、巨木、苔生した石段などが点在し風致に富み、往時は神の使いと思われる白蛇、金色蛇、金色カエル、見ざる色彩のカエル、面形のカエル等が出現したとされ、現在でも神域として雰囲気が漂っています。明治時代以降衰退した為、大きな社殿等はありませんが、神社山門風の建物や(上層部は籠り堂)、入母屋、銅板葺、吹き放しの拝殿、一間社の本殿などが建立されています。又、旧城下町から若桜弁財天に至る参道には一丁(約109m)毎、23躯(現在は18躯)の地蔵尊が安置され、1躯づつ参拝し3つ全ての鳥居を潜って本殿で祈願すれば念願成就するとも云われています。祭神:市杵嶋姫命、神日本磐余彦命、手力雄命。例祭:9月初巳の日。

若桜弁財天:写真

若桜弁財天
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