永福寺山門(若桜町)概要: 案内板によると「 この山門は、昭和56年10月15日、若桜町長砂地内、無動山永福寺跡より、移転復元したものである。この無動山永福寺(現在廃寺)は、県の保護文化財に指定された大日如来像(胎蔵界と金剛界)2体が本尊とされ、現在鳥取県立博物館に委託管理されている。この尊像の彫刻手法は、考証によると平安時代末期から鎌倉初期の製作とみられる。昭和62年 町建造物有形文化財指定」とあります。
永福寺山門は三間一戸、楼門形式(2重門)、入母屋、桟瓦葺、両脇に金剛力士像が安置されています。無道山永福寺の創建は不詳ですが弘法大師空海(平安時代の高僧、真言宗の開祖)が当地に巡錫で訪れた際、自ら薬師如来像を彫刻し一宇を設けて安置したのが始まりとされます。
旧境内が長砂氏の居城である長砂城の麓にあり、境内に長砂与五郎のものと伝わる五輪塔が建立されている事から領主の菩提寺として庇護され寺運も隆盛していたと思われます。現在の跡地を見てもかなり格式のある寺院だったようで、円護寺(鳥取市)が兵火に焼失した際には本尊である大日如来像が遷されています。明治時代以降は衰微し、無住、廃寺になっていたようで、昭和40年前後に本堂が大破した事を受け、本尊と山門の移設が本格化したそうです。
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