亀山城(倉吉市関金町)概要: 亀山城の築城等の詳細は不詳で、文化15年(1818)に編纂された「因伯古城跡図志」には「湯関村古城跡」と記され、元文2年(1737)に編纂された「伯州村分帳」には「山名小太郎の居城であった」と記されいます。郭と思われる形状は散見されたのですが、案内板に書かれている竪堀や土橋、井戸は見当たりませんでした。主郭と思われる平地には櫓風の展望台が建てられ城跡は亀井公園(大山遠望歴史の道)として整備されています。
山名小太郎とは伯耆・備前守護職だった山名教之の5男で文明11年(1479)、山名家の内紛に巻き込まれ、守護側である山名政之と対立しましたが敗北し美作国(岡山県)に落ち延びています。小太郎は延徳元年(1489)、甥である元之(教之の4男)の子供新九郎を擁立し再度決戦に臨みましたが再び破れ、関金付近で討死にしたと伝えられています。その際、亀山城がどのように機能したのかは不明ですが、小太郎が死去した事で廃城になったと思われます。
亀山城:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-鳥取県教育委員会
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