湯梨浜町・歴史・観光・見所

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湯梨浜町・歴史・観光・見所
湯梨浜町概要: 湯梨浜町は古くから大きな勢力があった地域で大小24基の古墳で構成される橋津古墳群をはじめ、山陰地方最大級の前方後円墳(全長110m、円部:直径70m高さ12m・前方部:長さ56m高さ11m)の北山古墳、学術的に価値が高いとさっる伯耆長瀬高浜遺跡などが点在しています。創建年は不詳ながらも平安時代から記録に残る伯耆国一ノ宮倭文神社もあり当時から知られた存在だった事が分かります。荘園開発も進み松尾神社(京都:松尾大社)の荘園である東郷荘が成立すると地頭として東郷氏が管理、武士の勢力が広大した延徳2年(1490)には荘園の利権争いが激化し松尾神社が守護に侵害を訴えています。中世に入ると越前南条郡宅良の里(現在の福井県南越前町今庄)出身の南条氏が支配し貞治5年(1366)には羽衣石城を築き長きにわたり湯梨浜町を含む周辺地域を大きな影響力を与えました。大永4年(1524)、尼子経久の伯耆国侵攻により当時の当主南条宗晴は山名氏を頼って因幡に落ち延び一時尼子領になりますが、尼子氏が衰退すると毛利氏を頼り再び復権し羽衣石城城主となります。しかし、羽柴秀吉が因幡国に侵攻すると南条氏は秀吉側に組するようになり毛利氏側と対立、毛利家一族である吉川元春は伯耆国に侵攻し羽衣石城は落城しています。その後も吉川氏と南条氏との抗争が続きますが、天正9年(1581)秀吉が鳥取城を陥落させると吉川氏は軍を自領内に引き下げ再び南条氏の領土が安堵されました。慶長5年(1600)の関が原の戦いで南条氏は西軍に組みした為、改易となり代わって中村一忠が17万5千石で米子藩を立藩、湯梨浜町では中村一族の河毛備後守が8千5百石で配され松崎城主となります。中村氏が改易になると天領となり元和3年(1617)に池田光政が治める鳥取藩領、寛永9年(1632)、同族の池田光仲が32万5千石で藩主となり、寛永10年(1633)に鳥取藩着座家の和田氏が小鹿谷の地に陣屋を設けています。松崎は鳥取藩領ではありましたが和田氏による半独立的(自分手政治)な立場となり明治維新まで続きます。又、経済的、軍事的にも重要視され橋津港は山陰道の宿場町であると共に橋津川と天神川の舟運の集積場として発展し最盛期には鳥取藩の藩倉が10数棟が建ち並び、江戸時代末期には台場が設けられ諸外国に対しました。
湯梨浜町
今滝
今滝
今滝
大伝寺
大伝寺
大伝寺
倭文神社
倭文神社
倭文神社
伯耆経塚
伯耆一宮経塚
伯耆一宮経塚
 
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