安養寺(米子市)概要: 会見山安養寺の創建は南北朝時代に後醍醐天皇皇女瓊子内親王が開基したのが始まりと伝えられています。元弘2年(1332)、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の計画が露呈した事で捕縛され隠岐に流された際、内親王も変装して随行しましたが、渡航の直前に身分が知られ隠岐渡ることが許されませんでした。内親王は隠岐に近いこの地に留まり遊行五代安国上人の弟子となり16歳の時に尼(西月院宮安養尼)となり後醍醐天皇の勅願寺として安養寺を開基しました。8年後の延元4年(1339)、内親王は24歳の若さでこの地で没し、境内には皇族墓所として御陵が築かれました。
安養寺はその後も尼寺として存続し、江戸時代には寺領100石が安堵され境内では芝居興行や富くじが行われるなど盛況だったとされます。寺宝として内親王座像や後醍醐天皇の縁の品々を所持し、境内には内親王が父親である後醍醐天皇の開運を祈願した「歯形栗」が残されています。安養寺資料(古文書)は米子市指定有形文化財に指定されています。山号:会見山。宗派:時宗。本尊:阿弥陀如来。
安養寺:上空画像
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