土師百井廃寺跡(八頭町)概要: 白鳳時代から奈良時代前期に創建された慈住寺跡と推定される遺跡です。発掘調査により中門、金堂(東西18m、南北18m)、講堂(東西30m、南北19m)、回廊(幅5.4mの基壇)、塔、南門等で構成されている法起寺式の大伽藍だったと推定されています。伽藍配置は南側が正面で正門である南門の直線上に中門があり、中門の左右からは敷地後方に設けられた講堂まで回廊が廻り、回廊に囲われた境内には左側に金堂、右側に塔が配置されていました。特に塔の遺構が明瞭に残っていて直径1.5mの礎石が19個並べられ、礎石の中心部には直径0.69mの柱座が設けられ、昭和53・54年の発掘調査で16mの基壇だった事が分かっています。
又、周囲からは重圏文単弁八葉蓮華文の軒丸瓦や丸瓦、鴟尾等が発見されています。土師百井廃寺跡は白鳳時代の大型寺院跡の遺構として大変貴重な存在で昭和6年(1931)に国指定史跡に指定されています(昭和55年:1980年に追加指定、土師百井廃寺塔跡→土師百井廃寺跡に名称変更)。
土師百井廃寺跡:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-八頭町教育委員会
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