宇倍神社

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創建年大化4年(648)
祭  神武内宿禰命
格  式式内社(名神大)・因幡国一宮・旧国幣中社・別表神社
文化財 宇倍神社獅子舞(山陰独特の獅子舞の原形とされる麒麟獅子舞、鳥取県指定無形民俗文化財)
宇倍神社御幸祭祭具(大神輿、獅子頭、楽器、、台矛、平矛など23点、鳥取県指定有形民俗文化財)

神  事例祭:4月21日
場  所鳥取県鳥取市国府町宮下
備  考宇倍神社の創建は不詳ですが「二十二社註式」によると大化4年(648)に成立したとされます。「因幡国風土記」によると仁徳天皇55(西暦367)に武内宿禰が360余歳で因幡国に下向し消息不明になったとされ宇倍山の麓の神社に祀られている事が記載されています。格式が高く「続日本後紀」によると嘉祥元年(848)7月27日に従五位下、「日本三代実録」によると貞観4年(862)5月13日に正五位上、「日本三代実録」によると貞観4年(862)12月22日に従四位下、「日本三代実録」によると貞観6年(864)3月に従四位下(重複?)、「日本三代実録」によると貞観10年(868)12月21日に従四位上、「日本三代実録」によると貞観13年(871)2月26日に正四位下、「日本三代実録」によると貞観15(873)7月28日に正四位上、「日本三代実録」によると貞観16年(874)3月14日に従三位、「日本三代実録」によるとに元慶2年(878)11月13日に正三位に列し、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載されています。因幡国の最高位で国府に近かった事から因幡国一宮とされ国事の祭事を司る立場でした。歴代領主や為政者から崇敬庇護され、因幡国守が度々参拝に訪れています。戦国時代の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による鳥取城侵攻の兵火により境内が荒廃しましたが、その後再興され、江戸時代には鳥取藩の藩主から社領25石が安堵されました。
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