三佛寺:鳥取県三朝町

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【 概 要 】三徳山三佛寺が何時頃から信仰されていたのかは判りませんが、修験道の開祖とされている役の行者(役小角)が信仰の聖地を定める為に蓮の花弁を三枚手の平に置き、祈祷を行うとその3枚はそれぞれ、三徳山と石槌山と吉野山の三か所に落ちたそうです。

石槌山は四国山地西部に位置する標高1982m山で、役の行者が開山したと伝わり日本七霊山の一つに数えられています。吉野山は役の行者が山中深く分け入り、厳しい修行の果て蔵王権現を感得し、それを模した木像を彫刻し安置したのが始まりとされ、その後は山岳信仰の中心的存在として神聖視された霊山です。

三徳山(標高:899.9m)も石槌山と吉野山と並び立つ霊山として信仰の対象となり、多くの修験僧が修行を行いました。平安時代には名僧として知られる慈覚大師円仁も当山で修行を積み、その際、釈迦如来像、阿弥陀如来像、大日如来像の3躯の仏像を彫刻し当時の本堂だった投入堂に安置した事から三佛寺と呼ばれるようになったと伝えられています。一方、資料的には寿永3年(1184)に後白河天皇の血縁者によって寺院として開山したとあり、投入堂に安置されていた本尊である蔵王権現像の胎内からは平安時代後期の仁案3年(1168)に銘のある文書が見つかっています。又、投入堂を年輪年代測定では概ね平安時代後期のものと判明している事から12世紀頃から本格的な活動が行われたとも考えられます。

中世に入ると時の為政者から帰依の対象となり、鎌倉幕府初代将軍源頼朝や室町幕府3代将軍足利義満、国人領主南条元純などが篤く帰依し庇護を与えています。江戸時代に入ると鳥取藩主池田家が庇護し寺領の寄進や堂宇の営繕工事などが行われています。

麓に境内を構える本堂から奥の院である投入堂までは修験僧が修行を積んだ行者道が残され、随所に文殊堂、地蔵堂、観音堂、元結耕堂などの歴史的な建造物や、鎖場や馬の背などの難所などが点在しています。現在のように管理される以前は数年に一度滑落者が出る難所である事から天候や時間、期間、服装などは厳しくチェックされ、不具合があれば入山が拒否される事もあります。

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