三徳山三佛寺(歴史)概要: 三徳山三佛寺は鳥取県東伯郡三朝町三徳に境内を構えている天台宗の寺院です。三佛寺の創建は不詳ですが、伝承によると慶雲3年(706)、役の行者が山岳信仰の拠点を開く為3枚のハスの花びらを散らし念じたところ、その内一枚が三徳山に落ちたと伝えられています。役の行者は蔵王堂(現在の投入堂)を設けると金剛蔵王大権現を安置し修験道の行場として整備し、嘉祥2年(849)には慈覚大師円仁が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置、浄土院美徳山三佛寺に改称しています。
三佛寺の寺運は隆盛し最盛期には堂宇28棟、支院・末寺3千ヵ寺、寺領1万町歩を有していましたが建久7年(1196)、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の兵火により焼失しています。応永2年(1396)に室町幕府3代将軍足利義満が厚く庇護し堂宇38、支院49を修復し寺領2千石を寄進しています。その後、歴代領主から庇護され天正5年(1577)に南条元純が堂宇を改修し、慶長4年(1599)には寺領100石が寄進されています。
三佛寺は江戸時代に入ると歴代鳥取藩(藩庁:鳥取城)主から庇護され寛永10年(1622)に初代藩主池田光仲(池田家宗家3代、徳川家康の曾孫)が寺領100石を寄進、天保10年(1839)に9代藩主池田斉訓が本堂を再建、貞享5年(1688)に松平綱清が天保10年(1839)には池田斎訓朝臣が堂宇の改修を行っています。現在も国宝に指定されている投入堂をはじめ、国指定重要文化財に指定されている文殊堂、地蔵堂、納経堂など歴史が感じられる建物が点在し当時の山岳信仰の行場が残る大変貴重なものとして境内全体が昭和9年(1934)国指定史跡名勝に指定されています。
中国三十三観音霊場第31番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:わけのぼる みちはみとくの やまふかみ こころもすめる たにがわのおと)。伯耆三十三観音霊場第29番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩)。中国四十九薬師霊場第43番札所(皆成院・札所本尊:薬師如来)。百八観音霊場第36番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩)。山号:三徳山。宗派:天台宗別格本山。本尊:釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来。
三徳山三佛寺の文化財
・ 投入堂(奥の院)−平安時代後期−流造、檜皮葺、懸造−国宝
・ 納経堂−平安時代後期−春日造風、見世棚造−国指定重要文化財
・ 地蔵堂−室間時代後期−入母屋、こけら葺、懸造−国指定重要文化財
・ 文殊堂−室間時代後期−入母屋、こけら葺、懸造−国指定重要文化財
・ 木造蔵王権現立像(1躯)−仁安3年−国指定重要文化財
・ 木造蔵王権現立像(6躯)−平安時代後期−国指定重要文化財
・ 木造十一面観音立像(1躯)−国指定重要文化財
・ 銅鏡(線刻胎蔵界曼荼羅・中台八葉院鏡像)−国指定重要文化財
・ 三徳山三佛寺境内−国指定史跡名勝
・ 三徳山−全国森林浴百選の地
・ 本堂−天保10年−宝形造、こけら葺(旧木賊葺)−鳥取県指定保護文化財
・ 観音堂−正保5年−入母屋、銅板葺、一部崖造−鳥取県指定保護文化財
・ 十一面観音堂(野際稲荷)−江戸中期−一間社−鳥取県指定保護文化財
・ 鐘楼堂−鎌倉時代(大正時代大改修)−鳥取県指定保護文化財
・ 元結掛堂−江戸時代前期−一間社、見世棚造−鳥取県指定保護文化財
・ 不動堂−江戸後期−一間社、こけら葺、春日造風−鳥取県指定保護文化財
・ 阿弥陀如来立像−平安後期、像高147.5cm、一木造−鳥取県指定保護文化財
・ 木造狛犬一対−鳥取県指定保護文化財
・ 誕生仏−鳥取県指定保護文化財
・ 男神・女神座像(2躯)−三朝町指定保護文化財
・ 正善院庭園−三朝町指定保護文化財
・ 宮本包則刀剣(1振)−三朝町指定保護文化財
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