若桜町(陣屋町)・町並み

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写  真 備  考
若桜町(陣屋町)
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【若桜町】若桜町は鎌倉時代の正治2年(1200)に駿河国安倍郡矢部村出身の矢部十郎輝(テル)種によって築かれたと思われる若桜鬼ヶ城(国指定史跡)の城下町として整備されました。矢部氏は長く当地を支配し戦国時代に入ると、因幡毛利氏と共に度々因幡国守護職山名氏に反乱を繰り返しています。天正3年(1575)、山中幸盛の若桜侵攻により若桜鬼ヶ城は落城、矢部氏は大名家としては没落し一族の一部が帰農して豪農となっています。その後も若桜鬼ヶ城を巡る攻防戦は度々行われ、天正6年(1578)に羽柴秀吉の因幡侵攻では秀吉は早々と若桜鬼ヶ城を接収し、ここを拠点に鳥取城の攻略を行っています。

因幡を掌握した秀吉は木下重堅を若桜鬼ヶ城に配し、近代的な城郭へと改修、しかし、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に与した事で改易となり、慶長6年(1601)に山崎家盛が配され若桜藩を立藩しています。若桜鬼ヶ城には藩庁、藩主居館が置かれるなどさらなる改修が加えられましたが、元和3年(1617)、2代家治が備中国成羽藩(岡山県高梁市成羽町)に移封となり若桜藩は廃藩、当地は鳥取藩領となりました。鳥取藩(藩庁:鳥取城)では既に一国一城令が発令後だった事もあり若桜鬼ヶ城を廃城としています。しかし、当地は若桜街道(播州往来:鳥取城下〜若桜宿〜姫路城下)と伊勢道(但馬道:氷ノ山を越えて伊勢神宮参拝で利用した)の宿場町でもあった為、引き続き重要視され代官所などが設置され行政的にも中心として機能しました。

現在の町並みは明治18年(1885)と明治44年(1911)の大火後に整備されたもので、江戸時代の町屋建築は無いものの、「カリヤ」と呼ばれる現在で言うアーケードを持った主屋と、敷地背後に設けられた土蔵による町並みは見ごたえがあります。「カリヤ」は日本海側の町屋建築の特徴の1つで秋田県や青森県では「こみせ」、新潟県では「雁木」などと呼ばれ、私有地を開放し冬場の通行を可能としています。

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