倉吉市: 波波伎神社

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波波伎神社:概要・歴史・観光・見所
波波伎神社(倉吉市)概要: 波波伎神社の創建は不詳ですが「伯耆国風土記逸文」によればヤマタノオロチから逃れたイナダヒメが母親(テナヅチ)と落ち合った場所で、母親が遅れた来た事から「母来ませ」が「ははき」の由来になったとされます。又、イザナミノミコトの葬地や祭神である事代主神が国譲りの際に、呪術「天逆手(普通とは違う方法で打つ柏手)」を行い青柴垣に籠った場所とも云われています。「波波伎」から「伯耆」に転じたとされることから古代伯耆国にとって当地が重要な場所で伯耆国の総氏神として古くから信仰され、境内背後には鳥取県の終末段階を代表する古墳(円墳)である「福庭古墳(鳥取県指定史跡)」が築造されている事からも神域として神聖視されていたと思われます。格式も高く承和4年(837)に従五位下、齊衡3年(856)に正五位下、貞観9年(867)に正五位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載されました。古くから神仏習合し「小松大明神」などと呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され社号を「波波伎神社」に改めて伯耆二の宮と称するようになり(社号が転じて国名になった由来から、本来格式が高いはずなのに郷社に留まった為に伯耆二の宮を称するようになったとされます)、明治2年(1869)に郷社、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社、昭和4年(1929)に県社に列しています。又、波波伎神社の社叢は案内板によると「 本社叢は、スダジイの巨木が優占繁茂する照葉樹林で、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定されている。面積約1.4ヘクタールの社叢のうち、社殿北寄りはきわめて自然性が高く、胸高直径1.5メートル内外、高さ20メートル以上のスダジイとタブノキの巨木が混生している。亜高木にはヤブツバキ、中低木層には海岸性の植物であるヒメユズリハ等が多く出現しているのが特徴。 文部科学省 倉吉市教育委員会 」とあります。波波伎神社社叢は昭和9年(1934)に国指定天然記念物に指定されています。現在の社殿は明治10年(1877)に造営されたもので、神社山門(随神門)は切妻、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行4間、梁間2間、正面1間軒唐破風向拝付、本殿は一間社流造、銅板葺き。主祭神:八重事代主命。合祀:天稚彦神、下照姫神、少彦名神、建御名方神、味耜高彦根命。例祭:10月13日。
波波伎神社
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