伯耆国府(倉吉市)概要: 伯耆国は7世紀に立国した地方行政区分だった国の1つで現在の鳥取県西部(久米、河村、八橋、会見、日野)にあたり、文化的には出雲国に属します。発掘調査により、国府は8世紀後半から10世紀まで4回の建て替えが行われ、最終的には東西273m、南北227mの規模で内部には儀式や祭事が執り行われた内郭(政庁域)と、政務や実務が執り行われた外郭(官衛域)があり内郭には正殿、後殿の他、南門、前門が設けられ、外郭には様々な建物があり主要の建物は基礎石の上に建てられました。
敷地の外周部の四方は築地塀で囲み東側には東西15m、南北149mの張り出し部分が設けられ、国庁の周囲には官衛とされる法華寺畑遺跡(国分尼寺の可能性有り)や不入岡遺跡、国分寺、伯耆国総社とされる国庁裏神社など様々な施設が設けられ古代伯耆国の行政、経済、文化の中心地となっていたと思われます。さらに、当時の都市造りで用いられていた四神相応の思想が取り入れられ東方を司る青龍が棲むという清流には国府川、北方を司る玄武が棲むという山(丘陵)には四王寺山、西方を司る白虎が棲むという大道にも対応する道があり、南方を司る朱雀が棲むという湖沼には南の湿地帯にあてたと推定されています。
又、奈良時代初期の貴族・歌人として知られる山上憶良が霊亀2年(716)から養老5年(721)の5年間、伯耆守(従五位下)として当地に赴任していたとされます。伯耆国庁跡と法華寺畑遺跡は共に昭和60年(1985)に国指定史跡に指定され、平成12年(2000)に国府に関連する不入岡遺跡が追加され「史跡・伯耆国府跡」として国指定史跡に指定されています。
伯耆国府:上空画像
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