長谷寺(倉吉市)概要: 打吹山長谷寺は鳥取県倉吉市仲ノ町に境内を構えている天台宗の寺院です。長谷寺の創建は養老5年(721)、元明天皇の勅願で法道上人が開いたのが始まりと伝えられています。当初は長谷村にありましたが後年になり現在地に移されました。当初は寺領300石を領し、境内には七堂伽藍が建ち並び寺運も隆盛していましたが、その後衰微し、建久4年(1193)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝の命で再興します。
南北朝時代には周辺領主や社寺は南朝(後醍醐天皇)方でしたが、長谷寺は北朝方に与していたと思われ、梵鐘の銘には北朝暦である「明徳」が刻まれています。その後は領主となった南条家に庇護されましたが、弘治3年(1557)の羽柴秀吉の侵攻の兵火により打吹城は落城、長谷寺もその兵火により観音堂以外の堂宇は焼失し大きな被害を受けています。
慶長5年(1600)、南条元忠は関が原の戦いで西軍に与した為に改易となり新たに中村一忠が伯耆国に入封、打吹城には一族で重臣である中村伊豆守が配されます。伊豆守も長谷寺を深く帰依し、大山寺から俊快阿闍梨を召還して再興、禅宗から天台宗に改宗しています。
その後は鳥取藩主池田家の重臣で倉吉に配され自分手政治を行った荒尾氏が庇護し、境内麓には荒尾氏の菩提寺である満正寺が創建され、打吹山中腹には荒尾氏の廟所(倉吉市指定史跡)が設けられています。
現在の長谷寺本堂(観音堂)は天正年間(1573〜1591年)に建てられ、数度の改変を経た建物で、懸造、寄棟、桟瓦葺、桁行5間、梁間5間、南面と西面に1間の縁が付属しています。内陣に造り付けられている厨子は室町時代後期に建てられたと推定されるもので桁行1間、梁間1間、高さ2.81m、入母屋、こけら葺、内部には本尊である十一面観音像が安置されています。
本堂の縁に掲げられている絵馬群は白馬絵馬(天文18年)、黒馬絵馬(元文5年)、酒呑童子征伐(延宝7年)、富士の巻狩(元禄14年)、武者絵(天保7年)など40点が奉納されています。
長谷寺仁王門は延宝8年(1680)に建てられたもので、入母屋、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、内部に安置されている仁王像は延宝年間(1673〜1681年)に仏師野月九八郎重勝の作といわれています。長谷寺本堂及び仁王門は貴重な事から平成19年(2007)に倉吉市指定文化財に指定されています。
中国三十三観音霊場第30番札所(札所本尊:十一面観音・御詠歌:にじむじん ちかいもふかき はせでらの あかのしみづに くめのくらよし)。伯耆三十三観音霊場第33番札所(札所本尊:十一面観音)。山号:打吹山。宗派:天台宗。本尊:十一面観音。
長谷寺の文化財
・ 長谷寺本堂内厨子−室町時代後期−国指定重要文化財
・ 長谷寺本堂−天正年間−鳥取県指定保護文化財
・ 長谷寺仁王門−延宝8年−鳥取県指定保護文化財
・ 梵鐘−明徳4年−鳥取県指定保護文化財
・ 長谷寺の絵馬群−江戸時代−鳥取県指定保護文化財
長谷寺:上空画像
懸造を簡単に説明した動画
八脚門を簡単に説明した動画
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