鳥取県の街道

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因幡街道

因幡街道概要: 因幡街道は江戸時代、鳥取藩主の参勤交代で利用する為、開削された脇街道の一つです。鳥取城下から智頭宿(鳥取県智頭町)、志戸坂峠、大原宿を経て平福宿で出雲街道に分岐し姫路城下で山陽道と合流しました。

鳥取藩主池田氏は智頭本陣と大原本陣で宿泊し、大原本陣では現在でも表門や御殿などが残っています。街道を通して比較的当時の景観を残しており、智頭宿から駒帰宿、志戸坂峠に至る区間が「智頭往来 志戸坂峠越」として平成20年(2008)に国指定史跡に指定され、平成8年(1996)に歴史の道百選にも選定されています。

大原宿では本陣や脇本陣をはじめ多くの町屋が軒を連ね良好な町並みを残していることから昭和61年(1986)に岡山県指定の「町並み保存地区」に指定されています。平福宿は因幡街道、出雲街道の宿場町であると共に平福陣屋の陣屋町、佐用川舟運の川湊町として道中最大の宿場町と発展し、現在も佐用川沿に土蔵群が軒を連ね昭和58年(1983)「佐用町歴史的環境保存条例保存区域」に指定されています。


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因幡街道のルート
鳥取城下−河原宿−用瀬宿−智頭宿−駒帰宿−坂根宿−大原宿−平福宿−
三日月宿−千本宿−觜崎宿−飾西宿−姫路城下


山陰街道

山陰街道概要: 山陰街道は京都を起点として亀岡城下(京都府亀岡市)、福知山城下(京都府福知山市)などを経て、丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見を縦断し長州小郡宿に至る街道です。当初の街道の名称は国や行き先によって様々に呼ばれ丹州街道や丹波街道、伯耆街道、伯州街道などと称されましたが明治時代に入り山陰街道に統一されました。

山陰地方の大名の多くは山陰街道を参勤交代で利用し、又、経済の発達により物資の流通や、遊行が一般的になった江戸時代中期以降は出雲大社(島根県出雲市)や大神山神社(鳥取県大山町)、遠く伊勢神宮(三重県伊勢市)まで足を伸ばすようになり多くの人達に利用されました。

山陰街道のルート
三条大橋−樫原宿−亀山宿−園部宿−須知宿−檜山宿−菟原宿−福知山宿−
和田山宿−八鹿宿−村岡宿−鳥取宿−母木宿−青屋宿−泊宿−橋津宿−長瀬宿−
由良宿−八橋宿−赤崎宿−下市宿−御来屋宿−淀江宿−米子宿−安来宿−
出雲郷宿−松江宿−宍道宿−今市宿−温泉津宿−郷田宿−浜田宿−三隅宿−
益田宿−津和野宿−山口宿−小郡宿



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