因幡街道(鳥取城下〜駒帰宿)

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概要・歴史・観光・見所

因幡街道概要: 因幡街道は江戸時代、鳥取藩主の参勤交代で利用する為、開削された脇街道の一つです。鳥取城鳥取県鳥取市)の城下町から智頭宿、志戸坂峠、大原宿を経て平福宿で出雲街道に分岐し姫路城下で山陽道と合流しました。

鳥取藩主池田氏は智頭本陣と大原本陣で宿泊し、大原本陣では現在でも表門や御殿などが残っています。街道を通して比較的当時の景観を残しており、智頭宿から駒帰宿、志戸坂峠に至る区間が「智頭往来 志戸坂峠越」として国指定史跡に指定され、歴史の道百選にも選定されています。

大原宿では本陣や脇本陣をはじめ多くの町屋が軒を連ね良好な町並みを残していることから岡山県指定の「町並み保存地区」に指定されています。平福宿は因幡街道、出雲街道の宿場町であると共に平福陣屋の陣屋町、佐用川舟運の川湊町として道中最大の宿場町と発展し、現在も佐用川沿に土蔵群が軒を連ね「佐用町歴史的環境保存条例保存区域」に指定されています。

因幡街道(鳥取県)・概要: 鳥取県内の因幡街道は智頭宿に因み智頭街道や智頭往来などと呼ばれました。鳥取は鳥取藩の藩庁と藩主の居館が設けられた鳥取城の城下町で、多くの家臣が居住していた事から大消費地としても経済的に発展しました。当然、行政や軍事的にも藩内の中心でもありました。

用瀬宿は天正8年(1580)、磯部兵部大輔が景石城に配された後、城下町として整備されたのが始まりとされ、景石城が廃城になった後も因幡街道(智頭往来)の宿場町として町並みを維持しました。周辺の物資お集積場でもあり用瀬市として毎月2と7の付く日は市が立ち多くの商人や商品を求める人々で賑いました。

智頭宿には本陣が設けられ、鳥取藩主が参勤交代の際宿泊しで利用し、見送りや出迎いも智頭宿で行われました。交通要衝でもあった為、多くの商人が集まり、町屋が軒を連ね、当地域の行政の中心として本陣には奉行所も設けられています。現在でも古い町並みが残されており当時の宿場町の様子を伝えています。

因幡街道のルート
鳥取城下−河原宿−用瀬宿−智頭宿−駒帰宿−坂根宿−大原宿−平福宿−
三日月宿−千本宿−觜崎宿−飾西宿−姫路城下

山陰街道
因幡街道
鳥取城下
因幡街道
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因幡街道
用瀬宿
因幡街道
智頭宿
因幡街道
駒帰宿
因幡街道
因幡街道


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